サッカーの選手、遠藤保仁のプロフィールです。

◆プロフィール

名前:遠藤 保仁(えんどう やすひと)

生年月日:1980年1月28日

出身地:鹿児島県鹿児島市

血液型:AB型

身 長:178cm

体 重:75kg

ニックネーム:ヤット

趣味・特技:???

ポジション:MF

所属クラブ:ガンバ大阪


◆経歴

小学校:???

中学校:???

高校:鹿児島実業高校

横浜フリューゲルス

京都パープルサンガ

ガンバ大阪


どんなスポーツにも1つの技を極めた職人技を持つ選手がいる。日本サッカー界でPKを職人技ともいうべくレベルまで達しているのは、彼をおいて他にはいないであろう。もちろん、PKが上手いだけでは日本代表に選出されるわけはなく、ピンポイントパス、フリーキックにおいても日本で1、2を争うレベルに達している。
遠藤保仁は1980年、鹿児島で生まれた。小さい頃からサッカーの才能を発揮していた少年は、必然と地元の名門鹿児島実業高校へ入学する。1年生で高校選手権優勝を経験すると、翌年には高円宮杯優勝、3年生の時には高校選手権優秀選手、U-18日本代表に選ばれるほど、同学年でも優秀な選手となっていた。
高校卒業後は、横浜フリューゲルスへ入団し、プロの世界へと足を踏み入れる。しかし、入団した1998年末、経営困難から横浜フリューゲルスは消滅する。翌年から京都パープルサンガへ移籍するも、チーム不調で2000年にJ2降格の悲劇を味わうこととなる。翌年の2001年にガンバ大阪へ移籍(プロの世界に入って4年目で3つ目のクラブへ移籍するというのは珍しいケースなのではないだろうか)。
ガンバ大阪に移籍してからは、持ち味のパス、フリーキックで活躍を見せると、忽ちチームの中心的存在へと成長する。2005年、ガンバ大阪で初のJリーグ優勝を成し遂げた。
ユース世代から日本代表に召集されつつ、ジーコ監督時代にA代表へと召集されるようになる。しかし、ジーコ監督時代は、中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一、福西崇史、小笠原満男など多くの中盤選手との争いが激しかったため、試合に出場したことはほとんどなかった(ドイツワールドカップではMFで唯一出場できなかった)。オシム監督、岡田監督時代になると、中村俊輔、中村憲剛らと中盤を任せられるようになり、日本代表の中盤の選手として必要な存在へと成長した。
遠藤保仁の凄さは何かというとやはりPKであろう。世界中探しても彼しかいないという蹴り方、高い確率を誇る成功率からPK職人とまで呼ばれている。遠藤保仁のPKの蹴り方とは、ゆっくりとした助走からさらにスピードを落としボールへ近づいていく。この間に遠藤保仁は、ボールを一度も見ることなく相手GKの動きだけをチェックしている。GKが待ち切れず、動き始めたところを確認してから逆方向へインサイドキックでボールを転がすというスタイルである。ボールはGKと逆方向へコロコロと転がり、確実にゴールする。このようなスタイルから、本人曰く「コロコロPK」と名付けている。
また、走りこんでいるFWへピンポイントで出すパスの精度やフリーキックも日本代表ではトップレベルであり、セットプレーでは中村俊輔か遠藤保仁が蹴ることが多い。
ちなみに、アトランタ五輪で日本が史上最強のブラジル代表を破ったマイアミの奇跡で、中田英寿や前園真聖らと共に中盤で活躍していた背番号10の遠藤彰弘は実の兄貴である。兄弟揃って、(年代こそ違えど)日本代表にで活躍するのは凄いことである。

PKになったら彼の出番だ!コロコロ転がるボールの行方を追いかけよう!